研究室訪問

 今回の研究室訪問は,応用化学科の井原栄治先生にお話を伺いました.井原先生は,京都大学大学院工学研究科博士課程(合成化学専攻)を1992年3月に修了後,8年間広島大学工学部で助手として勤務された後,2000年4月に愛媛大学工学部応用化学科に助教授として着任され現在に至っておられます.また,1997年6月から1年間,米国アイオワ大学化学科で博士研究員として勤務されました.

先生のご専門は高分子合成化学ということだそうですが,研究内容について教えてください.

 はい.大雑把にいいますと,「新しい高分子合成手法の開発」というのが私の研究テーマです.合成高分子には皆さんご存知のとおり,たくさんの種類があります.身近なものとしては,ポリエチレン,ポリプロピレン,ポリスチレン,ナイロン,ポリエステル等が代表例として挙げられるでしょうか.これらのポリマーは,現在の社会生活には不可欠な材料となっていますが,それぞれモノマーと呼ばれる化合物を原料として重合と呼ばれる反応により合成されています.実際のところ,基本的な高分子合成の手法というのは,これまでの研究でほぼ開発され尽くしたという感もありますが,私はなんとかして新たな発想に基づく新しい高分子合成法を開発したいと思っています.

具体的な例を挙げていただけますか?

 私が愛媛大学に着任後,我々の研究室で開発した主な高分子合成法の反応式を示します.この中で最もわかりやすいと思われる(1)について説明しましょう.これは我々が「ポリ(置換メチレン)合成」と名付けた,炭素―炭素結合を主鎖骨格とするポリマーの新しい合成法です.従来のビニル重合と呼ばれる手法では,炭素―炭素結合からなる主鎖骨格を2つの炭素からなるユニットを結合していくことにより合成していきます.ポリエチレン,ポリスチレン等数多くのポリマーがこのビニル重合により合成されています.これに対して(1)の「ポリ(置換メチレン)合成」では,この炭素―炭素の鎖を1つの炭素原子からなるユニットを結合させて合成していきます.これによって,ビニル重合では合成できない構造のポリマーでも合成できるようになる可能性があります.現時点ではまだまだ問題点がありますが,それらを解決していけば画期的な高分子合成法となると自分では思っています.

高分子合成法の反応式

先生の研究の特徴を教えてください.

 特徴と呼べるかどうかは疑問ですが,とにかく私の研究は全く地味な基礎研究であるということでしょうか.自分で開発した合成法によって合成が可能になったポリマーに,どんな使い道があるか,といったことはあまり考えていません.合成手法がいかに斬新なものであるかどうか,という点だけで勝負したいと考えています.私はこのような地道な基礎研究は高分子化学の分野で大変重要であると勝手に思い込んでおりますが,我々が愛媛大学で開発してきた高分子合成法が,高分子化学の分野でそれなりに評価されているのは嬉しいことです.

「それなりに評価されている」といわれても,素人にはどの程度のものか,全くわかりませんが?

 そうですよね.それを説明するために反応式の下に各合成法を発表した論文を記しています.これらはすべて,高分子化学分野での国際英文学術誌で,MacromoleculesやJ. Polym. Sci., Part A: Polym. Chem.というのが学術誌名です.高分子化学の分野では,研究の評価基準というのは世界共通で,できるだけレベルの高い国際英文学術誌に論文を投稿して掲載されること以外に研究を評価される方法はありません.学術誌のレベルは,やはり一般的にはインパクトファクターによって決まりますが,この分野で最もインパクトファクターの高い学術誌がアメリカ化学会の発行するこのMacromolecules誌です.ご覧のとおり,我々の論文は2002, 2003, 2004, 2005年と継続して,Macromolecules誌に掲載されておりますので,「それなりに評価されている」といってもいいのではないかと思うわけです.ちなみに,Macromolecules誌のインパクトファクターは2004年度,3.898ですが,J. Polym. Sci., Part A: Polym. Chem.誌も2.773ですので,こちらも決してレベルの低い学術誌ではありません.

なるほど.先生は常にそういった国際英文学術誌への論文掲載を目標にしておられるわけですか?

 そのとおりです.我々の研究が世界,あるいは日本の高分子化学の研究者に認められるためには,質の高い論文を発表し続ける以外に方法はありませんから.

それはかなり大変なことですか?

 はい相当大変です.まず,うまくいけば質の高い論文になるような研究テーマを考えることから始まりますが,これが大変です.まあ,これは私の仕事になりますが責任は重大ですね.そして,そのテーマの実験はすべて研究室の学生さんにやってもらうことになりますが,常にじっくりと相談しながら研究を進めていきます.そして,ある程度結果がまとまると,英語の論文にするわけですが,ここでまた膨大な時間と労力を費やすことになります.英語力はそれなりに鍛えてきたつもりですが,まだまだスラスラと文章が書けるというには程遠いですね.そして論文投稿後には,非常に厳しい審査が待っています.例えばMacromolecules誌ですと審査員はアメリカの高分子化学者であることが多いですが,場合によっては,ほんとにボロカスに貶されることがあります.結局,あるテーマの研究を開始して,最後に論文として掲載されるまでには学生さんと共に苦労の連続の日々を過ごすことになります.幸い,我々の研究室の学生さんは毎日,よく頑張って実験してくれるので助かっています.私も頑張っているつもりではありますが,研究以外にもたくさんの仕事がありますから論文を書くための時間を十分にとれないのが現状です.しかし,最近,私と同世代の他大学の教官と話をすると,「論文を書こうと思ったら,もう後は睡眠時間を削るしか手はない.」という意見で一致し,実際毎日3,4時間しか寝ずに論文を書いている人がおりますので,毎日5,6時間は寝ている自分はまだまだ甘いとも思います.

ほんとに大変そうですね.

 はい.でも,評価の基準が世界共通だというのはありがたいことだと思います.例えばMacromolecules誌に掲載された論文は世界中の高分子化学者が見てくれるわけで,世界をアッといわせることは難しいにしても,オッと思わせることくらいはできるかもしれないと思うと非常にやりがいがありますね.学生さんたちも,自分の名前の入った論文が世界の高分子化学の研究者に読んでもらえることを目標にして頑張ってくれているようです.そして,インパクトファクターのさらに高い,化学全般あるいは自然科学全般を対象とする総合誌がありますが,我々の研究は残念ながらまだそういうレベルにはまだ達していないので,もっともっと上を目指して頑張らなければと常に思っています.

なるほど.それでは,ここで話題を変えましょう.何か趣味はありますか?

 研究が趣味みたいなものですので,他には趣味と呼べるようなものはありませんが,あえていうなら,英語力を鍛えることくらいですね.

確かにそれは趣味と呼べるかどうか疑問ですが,とりあえず話を聞かせてください.

 まず,なぜ英語力を鍛えるのかという目的は2つあります.一つは,とにかく英語で思ったことをスラスラと,日本語を書くのと同じように書けるようになりたい,ということですね.英語の論文を書くために費やす時間を少しでも短縮したい,それが最大の目標です.2つ目は,native speakerと普通に会話が出来るようになりたいということです.これは,アメリカにポスドクとして滞在した1年間での経験が影響しています.そのときに,仕事上の会話や,相手がこちらの英語力に合わせてくれた場合はなんとかなりましたが,native speaker同士が普通に会話を始めたときは,全く会話についていけないという状況でした.これは,そこそこ英語力に自身のあった当時の私にとってはかなり衝撃的というか屈辱的な経験でした.なんだ,自分の英語力なんて全然使い物にならないじゃないか,と30歳を過ぎてやっと思い知ったわけです.そこで,滞米中から英語力の強化に本気で取り組むことにしました.私の考え方は,とにかくまずはアメリカの中高生くらいが普通に読む本や見るTVドラマ・映画を,同じように理解できなければいけないでしょうということです.そこで,翻訳の日本語の本を読むのをやめて原著でミステリーやSFを読むことにして,John GrishamやMichael Crichtonのペーパーバックから読み始めました.そして,リスニングについては好きなTVドラマや映画のDVDを買って,これを英語音声・英語字幕で見る訓練を始めました.私のお気に入りは「アリーマイラブ」と「ホワイトハウス」です.これを何度も繰り返し見て,英語字幕の助けを借りながら理解しようとするわけです.「アリーマイラブ」は英語字幕なしでもほぼ理解できるようになりましたが,「ホワイトハウス」の英語は実に手強いですね.セリフが速過ぎて英語字幕がきちんとついていってないくらいですから.基本的にはこういう訓練をやっただけでも,8年程前に,ペーパーバックを30冊ぐらい読んだ時点で力試しに初めて受けたTOEICでは935点が取れました.その後,ペーパーバックだけでは物足りなくなったので,約2年前から週刊誌の「TIME」を読み始めました.これが実に読み応えがあります.毎週,主な記事はほとんど読んでいるのですが,そのお陰で語彙力が相当向上しました.昨年の春に,英検一級の「語彙」の問題がかなりできることがわかったので,生涯初の英検受験ではありましたがいきなり一級に挑戦しました.過去問の問題集をパラパラと見る程度の準備でしたけど,見事一発合格できました.

 でも,TOEIC900点台,英検一級といっても,「英語ができます」と胸張っていえるようなものではないですね.そもそも,まだまだ時間をかけて苦労しないと英語で論文が書けませんから.日本語を書くのと同じくらいのペースで英語で論文を書ける,「TIME」をほとんど辞書なしで読める,「ホワイトハウス」を英語字幕なしでも聞き取れる,というのが現在の私の目標ですが,まだまだ先は長いと思って日々努力しております.

本格的に英語に取り組んでおられるということがよくわかりました.ところで,仕事が忙しくてもDVDを見たり「TIME」を読んだりする時間はあるのですか?

 海外ドラマは1話約45分ですので,平日の寝る直前に見ています.「アリーマイラブ」や「ホワイトハウス」は内容も実に面白くて良い気分転換になりますので,楽しみながら英語の勉強もできるという,私にとっては最高の教材です.さすがに疲れて家に帰ってきた後に,「TIME」の英語を読むのはかなりきついので,土曜の夜と日曜に子どもの相手をしながら一週間分を一気に読んでいます.

では,最後に若者へのメッセージがあればお願いします.

 本物と偽者を見分ける目を養ってほしいです.世の中には今,偽者がいたるところに蔓延っているみたいですから.そのためには,何事でもまず疑いの目をもってみることが大事かと思います.家族,先生,友人,マスコミその他周りの言うことを鵜呑みにすることなく,まず自分でよく考えて判断することですね.何が本物かがわかるようになれば,普通は自分も本物を目指そうとするはずですから,そのためには今何をすべきか,ということが自然にわかるようになると思います.まあ,何が本物で,何が偽者かはその人の考え方次第というところもありますが...

今日はどうもありがとうございました.