研究室訪問

 研究室訪問の第2回は応用化学科と無細胞生命科学工学研究センターを兼任しておられる高井和幸助教授にお話を伺いました.高井先生は東京大学大学院理学系研究科博士課程(平成5年9月単位取得退学,平成6年に学位を取得)を修了後,千葉工業大学工学部(平成5年10月~平成13年2月),(株)三菱化学生命科学研究所(平成13年3月~12月)を経て平成14年に愛媛大学工学部応用化学科に助教授として着任されました(平成15年4月から無細胞生命科学工学研究センターを兼任).今回は高井先生に,研究テーマ,趣味,そして大学生,高校生へのメッセージを語っていただきました.

それではまず,高井先生の現在の研究テーマについて教えてください.

 生き物の体の中では,何万種ものタンパク質がそれぞれの機能を持ってはたらいているのですが,それぞれのタンパク質は,20種類のアミノ酸を材料にして,遺伝子に書き込まれた情報に従って合成されています.遺伝子には,アミノ酸をどういう順番でつなげるか,という情報が書き込まれているんです.私は生物がいかにして,この遺伝子の情報を正確にアミノ酸の配列に変換しているのかという機構について研究しています.

なんだか難しそうですね.もう少しわかりやすく説明していただけますか?

 わかりました.それではたんぱく質合成を料理にたとえてみましょう.すると遺伝子の情報がレシピ,20種類のアミノ酸が砂糖,塩,コショウ,醤油,味の素,といったものに相当します.人間が料理をするときには,レシピに書いてある文字を頭で解釈して,それに基づいて正しい材料を選ぶわけですが,タンパク質合成の場合は,文字と材料との対応付けを行っているたくさんの分子があって,そういう分子たちが自発的に協力し合って正しくはたらいてはじめて間違いのないタンパク質が出来上がります.私はこの段階で,生物はどうして間違えずにレシピどおりの正しい順番でアミノ酸を使うことができるのか,ということを研究しています.

なるほど,少しわかってきたような気がします.さらに詳しくご説明いただけますか?

 生物ではレシピに書いてある文字にあたるのが,DNAの塩基です.知っている人も多いと思いますが,A,C,G,Tです.実際のタンパク質合成では,レシピ集から必要な部分のメモを取って,それを元にしてタンパク質を合成しています.このメモに当たるのが,メッセンジャーRNAです.高校の教科書では無理やり日本語にしてあって「伝令RNA」と書いてあると思います.メッセンジャーRNAも,A,C,G,Uという,DNAの場合とほとんど同じ文字で書かれています.
  料理の場合にも,「砂糖」という文字と,実際の砂糖とは,外見や手触りに何の関係もないですよね.レシピに「砂糖」と書いてあったら,頭で情報処理して,白い粉だ,と解釈して,時には味を確かめて,料理に加えるわけです.もちろん砂糖の容器に「砂糖」と書いてあればそれでいいのですが,それにしても,頭の中で,レシピに書いてある文字と容器に書いてある文字との対応付けをしていますし,それ以前に「砂糖」という文字と実際の砂糖とを予め対応付けていることになります.タンパク質合成でも,メッセンジャーRNA上のA,C,G,Uと,アミノ酸とは,分子構造上まったく関係がありません.
  タンパク質合成では,tRNAという分子が,ラベルされた容器の役割をしています.高校の教科書では,「運搬RNA」と書かれていると思いますが,大学で使うような一般の教科書には「転移RNA」と訳されていますし,実際に研究している人たちは,日本人でも「tRNA」と呼んでいます.タンパク質合成の材料であるアミノ酸は,まず,tRNAという容器に入れられます.たとえば,フェニルアラニンというアミノ酸ならば,フェニルアラニン専用のtRNAと結合するのです.このとき,間違いなく対応付けを行うのはアミノアシルtRNA合成酵素という酵素です.この対応付けが分子のレベルでどのように行われているかにも興味があるのですが,私の手には負えないほど複雑だということがわかっていますので,今はこれの研究はしていません.私が研究しているのは,容器のラベルに書いてある「砂糖」という文字と,レシピの「砂糖」という文字との対応付けです.

メッセンジャーRNA上のtRNAを指定する情報と,各tRNAのその情報を認識する部分との対応関係,ということですか?

 そのとおりです.こんなことを言うと,なんでそんな簡単なことを研究しているのかと言われそうですが,これでさえも,決して簡単ではないんです.

といいますと?

 確かに,基本的なメカニズムは,40年近く前に提唱されていて,それはどんな分子生物学の教科書にも載っています.さらに,数年前に,タンパク質合成装置の立体構造が明らかになって,その基本メカニズムを支える細かいメカニズムもかなり明らかになってきました.でも,それでもわからないことがたくさんあるんです.
  料理のときに容器の「砂糖」という文字とレシピの「砂糖」という文字とを対応させるときは,同じ形のもの同士を対応付けていることになりますが,メッセンジャーRNA上の「フェニルアラニン」を示す文字と,tRNA上の「フェニルアラニン」を示す文字とは同じではなく,よく言われるような「鍵と鍵穴」の関係になっています.同じ言い方をすれば,容器の文字とレシピの文字は「鍵穴と鍵穴」の関係になってしまいますね.鍵穴と鍵穴が同一だと認識されるためには,それぞれを脳で認識することが必要ですが,鍵と鍵穴の間の認識は,直接の相互作用によります.
  実際のタンパク質合成では,メッセンジャーRNAがリボソームというタンパク質合成装置の上に,A,C,G,Uのうちの3つからできた「鍵穴」を作ります.これを「コドン」と言います.この鍵穴に合う「鍵」,アミノ酸の結合したtRNA,を入れてみて,合うようならアミノ酸をそれまでつなげてきたアミノ酸の鎖の末端につなげて,次のコドンに移ります.鍵と鍵穴が合うかどうか調べるとき,もし合う場合には,鍵と鍵穴を作っている原子の間に,「水素結合」と呼ばれる弱い結合ができています.私が研究しているのは,コドンとtRNAとの間にどういうパターンで水素結合ができているか,それは化学の立場から見てどうしてか,細胞がそういうやり方をしているのは何故か,ということです.生き物の種類によってもメカニズムが多少違うかもしれないので,どう違うのか,それがそれぞれの生き物の「生き方」の違いとどう関係するのか,ということにも興味があります.これでも,まだ,ある程度ご存知の方は,そんなことは教科書に書いてあるじゃないかとおっしゃるかもしれないですが,教科書に書いてあるのは40年前の仮説であって,その後の研究でそれほど単純でないことが次々にわかってきているのです.

なかなか奥が深そうですね.では,この研究テーマを選ばれたのはなぜですか?

 それはなかなか説明するのが難しいのですが,ひとつには,コドンとtRNAとの相互作用が,RNAの相互作用のひとつの基本型だと信じているからです.例えば,エイズウィルスの増殖には,類似のRNA相互作用が関与しています.それを抑えることによってエイズが治るかどうかは別ですし,本当に類似の相互作用と言ってよいかどうか,何ともいえないところですが,似ていることはたしかです.現存の生命は,RNAから進化したと考えられていますが,RNAが生命の原型であるとすると,RNA同士の相互作用がどのように起こっているか詳細に解明することは,生命の起源を考える上で重要と考えられます.生体内で,DNAやRNAが合成されるときには,ある一定方向にだけ合成されていきます.それが何故なのか,どうしてその方向に合成されるのか,ということとも関係があるのではないかと思っています.
  また,タンパク質合成系というのは,生命体が持っているひとつのシステムとして,研究しやすい面をたくさんもっている,というのも理由の一つです.生命は水やタンパク質を含めた分子から成り立っているわけですが,生命の最小単位である細胞と,それを構成する分子のレベルはあまりにも離れすぎていて,分子の振る舞いから細胞の振る舞いを理解するのは現時点では複雑すぎて無理だと思うんです.分子の振る舞いからタンパク質合成系の振る舞いや進化を理解することなら,なんとか可能なのではないかと思っています.

生命の起源からエイズウィルスにまで関連する,とても一般性の高いテーマについて研究しておられるということがなんとなくわかったような気がします.
それでは,次に研究以外のことについてお話を伺いたいと思います.何かスポーツはしておられますか?

 最近はほとんどやっていないのですが,本当は,一ヶ月に一回くらい,卓球をやりたいんです.でも,試合はしたくないんですよね.球を打ってるのが楽しくて,球をラケットで打つ感触とか,玉の弾む音とか,リズムとかが好きなんです.ですが,相手を負かそうとか,自分が勝とうとか思ってしまうと,楽しくなくなってしまうんです.中学校,高校と,卓球部に所属していたのですが,練習では強く見えるのに,試合になると弱い,と言われてました.

なるほど,性格温厚な高井先生らしいお話ですね.他に何かありますか?

 あと,自転車で,目的もなくぶらぶらするのも好きです.いろいろ発見があって面白いんです.松山の市街地はだいたい平坦なので,結構遠くまで行けるので,いいですよね.

運動以外の趣味はいかがでしょう?

 最近,ケーブルテレビで,スタートレックの10年前くらいのシリーズをやっていて,ちょっとはまってます.見たことのない人にはわからないと思うのですが,データ少佐というアンドロイドがいて,人間のような感情をプログラムされていないんですが,一生懸命人間に近づこうとするんです.これがとてもいいんです.わけのわからない物理学の理論や,バイオテクノロジー関係の変な日本語訳に興じたりもしています.ピカード艦長という理想的な指揮官の行動や考え方なんかは,ブッシュ大統領にじっくり見せたいくらいです.それに,何よりも夢があるんですよ.物語に出てくる24世紀の技術というのは,夢の技術で,すぐに実現するはずのないようなものが多いし,原理的にありえないようなものもあるのですが,例えば,携帯できる程度の大きさのスキャナーで患者の体を外からスキャンすると,体の状態がわかってしまって,例えば細胞にリボソームを注入しなければいけない,とかいうことがわかったりするんです.細胞にリボソームを注入すれば治る,なんて変だけれど,検査機器を携帯できることや患者の体の外から検査ができることというのは,現実の世界でもとても重要だと思うんです.物語に出てくるコンピューターは,最近よく言われているユビキタスコンピューティングみたいなことをしています.そんなことを考えながら見てるんです.日本にこういう番組は無いし,作ってもウケないんだろうなと思ったりもします.

私は見たことがないのでわかりませんが,おもしろそうですね.SFがお好きなんですか?

 はい.

では,読書もやはりその系統のものを読まれるのでしょうか?

 そうですね.最近は,本を読む時間があまり無いのですが,寝る前などにできるだけ読むようにしてます.小説は大体SF,それ以外は科学モノですね.

何か好きな本,あるいは印象に残っている本を挙げていただけますか?

 大学に入学した年に生協の本屋に平積みになっていたのですが,ジョージ・オーウェルの「1984年」は,すごいと思います.その後,何回も読み直しました.1949年に書かれた未来小説で,ビッグ・ブラザーという,いるのかいないのかもわからない指導者の支配する社会主義国家の話です.舞台はロンドンで,イングソックという社会主義政党が一党独裁しているんです.現在の我々から見れば,人権が抑圧されたとんでもない社会なのですが,一歩間違ったらイギリスだって日本だって,そうなったかもしれないと思ってしまいます.大韓航空機事件を起こした金賢姫さんが,この小説を読んで,北朝鮮そのものだと書いてるらしいんですが,僕は,「1984年」の世界と北朝鮮とはだいぶ違うと思います.北朝鮮にはビッグ・ブラザーが実在しますが,「1984年」の世界では,ビッグ・ブラザーが実在するかどうか誰も知らないんです.それに,「1984年」の世界では,民衆は幸せです.
  小説の中では,街中にテレスクリーンと呼ばれるスクリーンがあって,双方向情報端末みたいなものなのですが,スローガンを宣伝したりしながら,人々を監視しています.最近三大都市圏で地上波デジタル放送が始まりましたよね.そういうものができるのなら,テレスクリーンも十分実現可能なのではないかと思ってしまいます.それと,ニュースピークという新しい言語を作っていて,できるだけ少ない単語数ですべてを表現するようにしているのですが,それによって,人間の思考を制限しようとしていたりします.これって,化学の世界で単位をSI単位に統一しようとしているのと似てると思うんですよ.そのうち,カロリーってのがどういう単位なのか知らない人たちが化学をやるようになったりするのかなと思ったりします.英語が世界の共通言語になることによって,英語で考えやすい考え方に思考が制限される可能性だってあるかもしれないと思います.もうひとつ,ダブルシンクというのがあって,日本語では二重思考と訳されていたと思うんですが,これができると人生がすごく楽なんですよ.昨日まで隣の席で仕事をしていた人が突然蒸発しても,最初からいなかったんだと考えることができるっていうようなことです.とにかく,人間の思考を制限することで,幸せで安定な社会を作ろうとしていて,支配者は決して私服を肥やしているのではないという意味だと思うんです.
  もし21世紀中ごろの日本やアメリカでヒトラーみたいな独裁者が生まれたら,このくらいのことは技術的に問題なくできてしまうんじゃないかと心配になってしまいます.実際の1984年の世界がそんな世界じゃなくてよかったと思うわけですが,それは技術的にそこまで進んでいなかったせいもあるし,資本主義がそれなりにちゃんと動いていたという要因もあると思うんです.資本主義ってのは,基本的に経済の拡大を前提にしているので,当然,地球のキャパシティーを越えないうちに限界が来るはずですよね.限界がきたときに,人類がどうするのかは,とても重要な問題になるはずだと思うんですが...まあ,自分が生きている間にはそういうことはないだろう,と納得するんです.ちなみに,スタートレックでは,21世紀の半ばに第三次世界大戦が起きて,その後,資本主義でも共産主義でもない理想社会になったことになっているみたいです.

なるほど.いろいろと深く考えながら読んでおられるのですね.では最後に,大学生や高校生へのメッセージをお願いできますか?

 最近,「ばかの壁」という本がはやりましたが,その本の中で養老孟司先生がおっしゃっているように,講義でどんなにわかりやすくしゃべったつもりでも,学生に全く通用しないことがあるんです.どうしてだろうと思っていたのですが,あるとき講義で学生に好きなことを何でも書くように指示したら,まず演習問題をやってそれから講義すればもっとわかりやすいのではないかと書いている学生がいたんです.いろいろ考えたのですが,こういう学生は,もしかすると,問題が解けることイコール理解していることだと思っているか,そうでなければ,講義の目標が問題を解けるようになることだと勘違いしているのではないでしょうか.しかも,いろいろ聞いてみると,問題を解くことにしか関心がないから,講義の後半で練習問題を出すまで,意識的に聞かないようにしている人もいるみたいなんです.練習問題の基礎になっている論理のところを聞くと,かえってわからなくなる,ということらしいです.それでは講義の内容が理解されるはずはありませんし,講義をやる意味がありません.
  たとえば,xのn乗の微分は,n倍のxのn-1乗だという規則は高校の数学で習ったと思いますが,それがどうしてだか,みんなわかっているのでしょうか?微積分は特にそうなのですが,微積分の計算ができることと微積分の意味を理解していることとは違いますよね.もしかすると,大学受験のためにやり方だけ教わって,それを練習して,それでわかった気になっているんではないでしょうか.理解していなくても,やり方だけわかれば解けてしまうも問題って,いくらでもありえますよね.受験のために解き方だけ記憶する,というのはしかたがない面もあるのですが,極力避けて欲しいです.
  練習問題がいくら解けたって,それがそのままは役に立たないのは明らかです.実際に社会に出て直面する問題が解けなければ意味がない.練習問題というのは,かつて誰かが解いた問題なんですよ.もう,既に解けているんです.新しい問題が解けなければ,君が勉強する意味がない.新しい問題を解くためには,基礎的な事柄や考え方をきちんと理解することが重要だと思うのですが,そんなことを考えたこともない学生さんが多いような気がします.

 ついでに言いますが,一部の愛媛大の学生さんを見ていると,国立大学で学んでいるのだという自覚があるのだろうかと疑問をもってしまいます.国の税金をたくさん使って勉強しているのだという自覚はもってほしいものです.将来の日本国を背負って立つ人材を育成するために,比較的安い授業料で教育しているのですから,そういう国民の期待に答えるつもりのない学生は,もっと気持ちのある人に席を譲るべきだと思います.自覚をもてない学生が多いのだったら,それは,国立大学の教育機関としての需要が供給よりもずっと少ない,ということを意味してますから,授業料が上がったり,大学そのものが潰されたりするのは仕方がないと思います.四国と九州の間に橋をかけてもらえないのと同じです.
  もうひとつ,言わせていただくと,高校生や,大学生には,カリキュラムにとらわれず,自分で興味を持ったことについて自分で調べる,ということを,積極的にやって欲しいです.受験勉強は苦手だけれどもそういうことならできる,という人はたくさんいると思います.たいていの場合は,調べれば調べるほど,その面白さがわかってくるはずです.高校生向けにもうひとつ.一生懸命受験勉強して愛媛大に入学しようとするのはよいのですが,その受験勉強がどうしても性に合わないとか,いやだとか,いう場合は,いやな受験勉強なんかしないで好きなことを一生懸命やって,それでも入れる大学を目指すか,そもそも大学を目指さないほうがよいと思います.もちろん,愛媛大にはいったらやりたいことがあって,それのために嫌な受験勉強もやる,というのは悪くないでしょう.ですが,目標もないのにやりたくないことを無理やりやってよいことはない,と思います.やりたくないことを無理矢理やると,本人にとってよくないばかりでなく,周りの人に迷惑をかけます.

本日はどうもありがとうございました.

(編集後記)
  いかがでしたでしょうか?高井先生の研究,趣味に関する興味深いお話の中に,先生のまじめで温厚な人柄がにじみ出ているのがお分かりいただけたのではないかと思います.また,先生の大学生,高校生へのメッセージは,特に現在愛媛大学に在籍する学生,およびこれから愛媛大学を受験しようとする高校生の皆さんには是非とも真剣に読んでいただきたいと思いました.
  では,次回も楽しみにしてください.